僕はそれでもサボる。

こんな、

悩みが僕のもとに
届いていた。

以下悩み
〜〜〜〜〜
らなきゃと、
思っているんですが、
サボってしまう自分がいます。
めんどくさがる自分がいます。
覚悟が薄いのでしょうか?
〜〜〜〜〜

結論。

「自分は自分が、
 創り出している」



それは、
1945年8月6日。

広島市へに
原子爆弾投下された。

75年前の出来事である。

僕は75年前の
日本は知らないが、

恐らく、
75年前にはこんな悩みを
持っている人は、
居なかったと推測する。

なぜなら、

今日を生きる事で
精一杯と言う状況
だったはずだからだ。

=====
75年たって
人々は何を
失ったのか?
=====

「なぜ?人は生きる?」
「何の為に人は生きる?」

この究極の問を深く
考えてきたが、

とある、
Instagramの
プロフィールに
こんなメッセージを
書いている人が居た。

「私は食べる為に生きる。」

とても
シンプルで深い言葉
だと感じたと同時に、

これが人が生きて
行く上で最も大事な
思想であり。哲学。

そう感じた。



今までの僕の思考では、

「生きる為に食べる」

と言う考えがあった。

つまり、
思考の順番はこうだ。

■ステップ1
生きる為に食べる。

■ステップ2
食べる為に稼ぐ。

■ステップ3
稼ぐ為に行動する。



しかし、
その言葉はこうである。

「私は食べる為に生きる。」

この一行で全てが完結していて
余計な思考のステップが存在しない。

とても
シンプル。

きっと、
75年前。

日本が戦争で負けて、
焼け野原になった時、

究極の幸せとは、
食べる事であっただろう。

ガキの頃、
金曜日ロードショーで

「火垂るの墓」

を見た時、
自然と泣いた。

=====
幸せの定義が複雑に
なってしまった現代。
=====

昔に比べると、
物や情報に溢れている。

75年前の日本と
75年後の今の日本では、

明らかに、
何不自由なく
生きていく事が
出来ている。

でも、

多くの人達は、
「幸せ」を感じる事が
殆ど出来ない。



街中でベンツが走っていたら、

「あんな車に乗りたいなぁ」

と、思ったり。

でも、

車が走っていなかった頃は
誰もそんな事は思わなかった。



金持ちが優雅にタワーマンションに
住んでリッチな生活をしていたら、

「あんな家に住めたらなぁ」

と、思ったりする。

でも原子爆弾投を落とされて
何も無い状態だったとき、

そんな事を思う事は
まず無いだろう。

=====
複雑化された幸せを
シンプルにしていく。
=====

「私は食べる為に生きる。」

つまり、

「私は●●の為に生きる。」

こ言うこと。

●●は、人それぞれ
違うものでもいいだろう。



結局、生きる定義すら
1つに決めてしまえば、

よりシンプルに
幸せを手にできる。



〜〜〜〜〜
サボってしまう自分がいます。
めんどくさがる自分がいます。
〜〜〜〜〜

そんな自分を
変えたいなら、

やる事を決めて
やればいい。

それ以上でも
それ以下でも

無い。

「やるを決めてやる。」

そのシンプルな
決め方でいい。

そして、
絶対に

そのシンプルな場所に

「やらない自分を創って
 行ってはいけない。」

なぜなら、
その同じ場所に…

やる自分と
やらない自分が

一緒に居たら喧嘩するよね(笑)
意見が絶対合わないからw



結局、

やらない自分とは
何なのか?

それは自分が創り出している
もう一人の自分なのだ。

⇒やる自分も自分
⇒やらない自分も自分

では、では、
今日はこの辺で!

チャオ(・∀・)