いのちの食べかたと言う映画を見て感じたこと。

最近、Winnyの映画を見たことが
キッカケで主役を演じていた
東出昌大さんの山暮らしに辿り着く。

正直、その事実を知らなかった
僕としては衝撃的だった。

さらに…

普通に山で狩りをして
肉をさばいて食べていたり、

ガチで山暮らしを
マスターしている感じ。

もう、山暮らしをして
2年ぐらいみたいなんだよね。

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僕たちは、
命が消える過程を
知らず生きていく。
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買い物に行けば、
過去された肉や魚が
沢山ならび、

そこに並んでいる
加工されたものを見ても、
残酷なインスピレーションは
一切湧くことは無い。

だが、

実際にスーパーに並ぶ前には、
その命達が消えていく工程が
存在している。

そんな映像が見れるのが、
「いのちの食べかた」と言う
ドキュメンタリー映画。

もう8年前ぐらいに
見たんだけど、

かなり考えさせられる
映画だったよね。

人間様に食われる為に、
命がベルトコンベアーに並び、
命が次から次へと消えていく。

安く肉を食える理由は、
こう言った過程があるからなんだけど、

多くの人達は、
これらの光景を見ようともしないだろうし、
知ろうともしない。

目の前の加工された肉が
美味しそうとか、安いとか、お得とか。

その程度。

勿論、僕もそうだった。

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自分の命がある理由は、
命を貰っているから。
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世の中を探せば、
肉も魚も食べない。

野菜だけ。

って言う人も居るけど、

野菜も命。

全ては、生きている。

そんな生きているものを
僕たちは食べて命を繋いでいる
ワケなんだけど、

なぜ?生きるか?

その意味は人それぞれは
違うと思うし、考え方も違う。

けど、

1つだけ事実があるとするならば、
僕たちは、彼らの命を貰って、
生きていると言うこと。

彼らは、人間様に
生まれてきたのだろうか?

特に家畜や養殖なんかは、
人間様に食われる為に、
育てられている。

これって、
考え方によっては、
彼らの運命は残酷である。

生まれた瞬間から、
最終的に人間食われる為に、

餌を与えられ、生きて、

そして、食われる。

彼らの命は、
僕たちの養分。

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まとめ
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サバンナでも、
弱肉強食の世界が
繰り広がれているから、

しょうがないこと。

自然の原理。

とも言えるだろう。

だけど、

自然の原理に従うのであれば、
命消えるまで、命が耐えるまで、

彼らから頂いた命のぶんまで
頑張って生き抜く。

それが、

彼らに出来る
たった1つの感謝なのかもしれないね。

じゃぁね。

チャオ(・∀・)