年収300万と年収600万どっちが幸せ?

年収が上がると
幸せになれると
思っている人は

結構、多いと思う。

でも、

年収600万は、
お金持ちなのか?

と、問われると

きっと
そうでも無い。

勿論、年収300万に
比べたら2倍なんだけどね。

この問いって
かなり絶妙ライン。

現実的でもある。

もし、

この問いが

年収300万と
年収1億だったら
どっち?

と言う問いなら
きっと答えやすいよね?

一般的に。

=====
年収300万
年収600万
幸せの答えは?
=====

僕の見解からすると、
この答えは、

年収の大きさでは無く、
その人の支出の基準
だと思うんだよね。

ようは、

どれぐらいの
お金を使うと
幸せな気分に
なれるのか?

って話。

例えば…

ビールを飲む時に、

発泡酒を飲むのか?
ビールを飲むのか?

もし、
発泡酒を飲んで、

「あ〜本当はプレミアモルツ
 飲みたいのになぁ。。。。
 金ねぇから我慢。我慢。」

みたいな感じで
発泡酒の金麦を飲んでいるのか?

それとも、

「うめぇ〜〜〜〜〜〜〜
 やっぱり食事に合うのは
 金麦だよなぁ!」

って飲むのか?



まぁ現代風の言葉に
表すなら

「幸せを感じれるコスパ」

である。

間違いなく、
この幸せを感じれる
コスパが悪い人は、

100円⇒幸せ(コスパ良い)
1万円⇒幸せ(コスパ悪い)

こんな感じで

幸せを感じている感覚は
一緒なんだけど1万円を
使わないと駄目みたいな。

=====
幸せを感じる基準。
=====

多分、一般的には
年収が高い方が幸せに
なれるんじゃないか!?

って思っているよね。

なぜなら、
年収が高ければ
選択は増えるから。



でも、選択が増えると
幸せの基準値もどんどん
上がっていく。

結果、
高い物を買わないと
幸せを感じれなく
なる傾向がある。

結論。
年収が上がっても
幸せを感じれる基準も上がり
支出が増える。

つまり年収が高くても
残る金は対した変わらないし、

幸せを感じれる
量も対した変わらない。

逆に、

年収が少ないけど、
幸せを感じれる基準が
高いのであれば、

それも幸せは感じれない。

先程も例に出したけど、

「あ〜本当はプレミアモルツ
 飲みたいのになぁ。。。。
 金ねぇから我慢。我慢。」

こんな感じ。

つまり、
年収が高いとか低いとか
そ言うのが問題じゃないと
思うんだよね。

幸せって。



だから、
ここですげー
大事な所があって、

そもそも
年収が低い高い

と言う視点で
幸せについて
考える事に疑問を
持つこと。



そもそも
多くの人達は、

幸せってのも

みんな手に入れてる
ものだと思ったりしている。

僕の見解はこう。

〜〜〜〜〜
究極の幸せってのは、
気づくこと。
〜〜〜〜〜

それに尽きる。

例えば…

何気なく生きている日常でも、

健康に事故も無く
生きているのであれば、

ただ、そこに感謝出来て、
幸せを感じれるかとかね。

なぜなら、
世の中を見渡せば、
今日も交通事故で
死んでいく人もいる。

地球のどっかでは、
戦争もしている。

飛んできたミサイルで
死んでいく人もいる。

難病にかかって
辛い思いをしている人もいる。

そう思うと、

何気ない日常
健康な自分
平和な日本

そんないつも通りの
何気ない日に対しても

幸せを感じる事は
出来る。

ありがたみを
感じる事も出来る。



しかし、
そう言った気持ちが無くて

常に外に幸せを
求めているなら

どれだけ年収が上がっても
常に周りと比較して、
常に幸せを得よう得ようとなる。

幸せを追いかける
ラッドレースの始まりだ。

だから、
幸せってのは
外に求めず

内の中にあるものに
多く気付けるか?

ってのが
大事だと思うんだよね。

=====
まとめ
=====

とは言え、

人間ってのは
欲もある。

良いホテルに泊まりたい。
良い住まいに住みたい。
良い車に乗りたい。

だから、
自分が内から出ている欲は
叶えて上げた方がいい。

ガキの頃から
憧れていた車を買うとか。

まぁそんな感じ。



昔、人生のパイセンTVと言う番組で
年収200万円台でフェラーリに乗る
男の子が出ていた。

お金が無いから、
一度もガソリンを満タンに
入れた事も無いらしい。

勿論、

フェラーリを乗る為に
めちゃめちゃ節約しまくり。

そして給料の8割9割を
フェラーリにぶっこむw

でも、
大好きなフェラーリに
乗っている彼の表情は
とても幸せそうだった。

じゃぁね。

チャオ(・∀・)