青の時代

あれは、
5年前の出来事。

深夜たった1人で
会社のパソコンに
向かってメルマガを
書いている時に、

偶然に発見した

「青の時代」

をカバーして
歌っている人。

YouTubeの
チャネル名は

「AiemuTV」

最近、また偶然に
このチャンネルに
アクセスすると、、、

まだ歌を続けていた。

=====
あの時から、
時代は変わったけど、
変わらない発信。
=====

まだ、
歌ってくれていたんだ。

と、

偶然に発見した時に
なぜだか嬉しかった。

多くの人達は、
発信を始めたとしても
途中でその発信を辞めていく。

そんな、

人の決意が
いとも簡単に裏切られていく
光景を何度も何度も見てきた。

確かに、
発信を続けると言う事は
とても大変な事かもしれない。

でも、発信を続けている人を
見るといつも希望を感じられる。

「まだ、僕も
 頑張らないとね」

そんな感じ。

=====
生きていく意味。
=====

青の時代の歌には
こんな歌詞がある。

〜〜〜〜〜
激しい怒りの中でさまよいまた傷つけあう
生きてく意味など捨てて変わらぬ場所で
〜〜〜〜〜

社会を見渡すと

「安倍総理の政策は駄目だ!」
「こんなウイルスが無ければ!」
「こんな社会が駄目なんだ!」
「うちの会社は最悪なんだよ!」

そんな、

誰かを批判しなければ、
自分を正当化して生きて
いく事が出来ない世の中
だったりする。

そして、人と人が
傷つけあって生きている。

だからこそ、

生きる意味なんて
捨ててしまえばいい。

そもそも、
生まれた意味など無いし、
頑張って生きる意味も無い。

でも、そんな事を
言うと寂しいから、

人は、都合が良いように
生きる意味を後付していく。

しかし…

そんな都合が良く
自分が生きている意味を
付ける事が出来ない人も居る。

生きている意味を付けられた人
生きている意味を付けられない人。

どちらにせよ、

死ぬと言う選択を選ばない限りは
呼吸し、飯を食い、クソして寝て、
生きていかなければいけない。



青の時代には、
こんな歌詞もある。

〜〜〜〜〜
1人でいたあの頃さびしい夜の月を浴びて
どんなに道がなくても歩いてゆこう
〜〜〜〜〜

そう、

どんなに道が無くても
死ぬと言う選択をしないなら、
歩いていかなければいけない。

例え、
たった1人でも。

では、では、
今日はこの辺で!

チャオ(・∀・)