偶然、北野武さんの『新しい道徳』を手に取った。
読んでいるうちに、
ふと感じたことがあったので、シェアしようと思う。
もちろん、これは僕の勝手な意見だ。
「その考え方は違う」と思う人もいるだろうし、
気にする必要はない。
もし、少しでも気分を害しそうなら、
ここで読むのをやめてもらって構わない。
読むか読まないかは、
すべて自己責任でお願いしたい。
では、本題に入ろう。
電車やバスで、
目の前にお年寄りが立っていたら席を譲る。
これは、僕たちが子どもの頃から
何となく教わってきた「良いこと」だ。
でも、僕が電車通勤をしていた時、
ちょっと違う視点でこの光景を見たことがある。
当時、僕が会社で働いているときは、
毎日のように終電で帰っていた。
車内を見渡すと、
疲れ切ったサラリーマンたちが、口を開けて寝ている。
その姿を見て、ふとこんなことを思った。
「サラリーマンって、大変やなぁ……。」
でも、そんな僕も同じ終電に揺られていた。
そう考えると、なんだか矛盾した気持ちになった。
今、日本の経済を支えているのは、
間違いなくサラリーマンだと思う。
彼らは毎日、嫌な上司に頭を下げながら
必死に働き、会社から天引きされる
形でしっかり税金を納めている。
もし、こういうサラリーマンがいなかったら、
日本の財政はもっと厳しくなるはずだ。
一方で、お年寄りは年金をもらう立場にある。
もちろん、税金を払っている人もいるだろうし、
これまで日本を支えてきた功労者であることは間違いない。
だからこそ、感謝の気持ちは持つべきだと思う。
でも、「年寄りだから」といって、
何でも特別扱いするのはどうなんだろう?
本当にお年寄りの健康を考えるなら、
むしろ立っていた方がいいのではないか?
電車ではなるべく立つ。
移動するときは歩く。
その方が、結果的にお年寄りのためになるんじゃないか?
歳を重ねると、どうしても筋力が衰える。
そこに甘えて、座ってばかりいると、
さらに衰えてしまう。
つまり、席を譲ることが逆に
「寝たきり」を促進してしまう可能性はないだろうか?
そんなことを考えた。
一方で、サラリーマンは今を戦っている。
今の日本を支えている。
だから、せめて電車に乗ったときぐらいは、
しっかり座って休み、明日もまた頑張れるようにした方がいい。
結局、大事なのは**「感謝の気持ち」**だと思う。
席を譲ることが美徳なのではなく、
お互いに感謝し合うことが大切なんじゃないだろうか?
もし、お年寄りがサラリーマンに感謝していたら、
こんな会話が生まれるかもしれない。
■ サラリーマン
「おばあちゃん、良かったらこちらの席どうぞ。」
■ おばあちゃん
「いやいや、私はもう働けない体です。
あんたさんが座りなさい。しっかり休んで、明日も仕事を頑張ってね。
私みたいな年寄りが座ってばかりいたら、もっと老けちゃうよ(笑)。」
本来なら、感謝の気持ちに「優先席」なんていらないはずだ。
ただ、お互いに「ありがとう」と思い合えば、それでいい。
だから、困っていそうな人がいたら、
自然に席を譲ればいいだけのこと。
声をかければいいだけのこと。
もっとシンプルに考えればいいんじゃないだろうか?
おわり。
PS
今回、AIにリライトした時に、、
個人的には。。。
と言うようなことを言いだした(・∀・)イイネ!!
そんなわけで、
AIに名前を今日はつけたよ。
名前は、ヨシ君!
これから、僕とヨシ君の共同作業は続く!
PPS
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