あれから3年…

早い物で、
もう、あれから3年が
たとうとしている。

気がつけばあっと言う間の
3年だったし、

全力で突っ走ってきた
3年でもあった。

途中で資金ショート
しそうになった事も
あったし、

「どーもー」と
動画では元気よく
喋っていても、
内心はビビっていた。

そして、
自問自答の日々。

「こんなんで本当に大丈夫?」
「こんなやり方で本当やっていける?」

自分のやり方が
王道のやり方では
無い事は分かってるし、

「ブレチャだめですよ。」
「凡事徹底が大事です。」
「一点集中です。」

なんて事を偉そうに
言いながら僕の心の中は
いつもブレブレだった。

ただ、そんなプレブレの
心の状態でも続けられた
理由は一つしか無い。

それは何か?

=====
やるしかない。
=====

と言うたった
一つの選択である。

どんな事を言っても
何をやった所でも

僕は商品を売らなければ
飯は食っていけない。

さらには、
毎月の借金の返済。

あとちょっとで
37歳になるけど、

この年齢で、
貯金はゼロ円である。

周りからは好きな
ようにやっているように
見られるかもしれないが、

あれは、
もう一人の自分を
演出しているだけの事。

本当の心の底の闇は、
真っ暗で、暗闇を全力で
走っている感じ。

誰にも理解されないし、
誰にも相談出来ない。

=====
借金を告白
=====

実は、そんな毎日が
臆病な日々を送っていた。

しかし…

そんな状況でも
お客さんの相談を受けて
アドバイスをしていた。

「借金があって辛いんです」

そんなアンケートを読む度に、

「ふざけんな!俺の方が辛いわ!」

なんて事を心で思っていたけど、
日に日にその思いは閉じ込められない
所まで突き上げてきた。

そして…

過去にどんな事が
あったのか?

ど言う状態で
独立をしたのか?

それを告白した。

=====
鹿児島行き断念
=====

きっと一生忘れる事は
無いと思うけど、

僕のスタートは、
悲惨な状態であった。

鹿児島で事務所を
構える事を決めて
契約をしたんだけど、

その最初の20万円程の
契約金すら払える状態
ではなかった。

だから心の奥底では、

「マジでやばい。。。。
 この金が払えなかったら
 鹿児島に行けない。」

請求書を見て、
そんな事を思っていた。

でも、、、

「20万のお金が無いので
 鹿児島に行けません。」

なんて口が避けても
周りには言えない。

さらに、その当時は
誰も僕の状況を知らないし
借金があるなんて事も
知る余地も無い。

きっと…

「貯金が数億円あって
 めちゃくちゃ稼いでいる人
 なんじゃないのか?」

なんて思われていたに
違いない。

実際にセミナー参加者に
言われた事がある。

「吉谷さんって貯金
 どれくらいあるんですか?」

口が避けても

「0円です。借金もあります。」

なんて言えないよね。

そんな状況だから、
金を作るしかなかった。

そして、
ちょうど誕生日が
近かったから、

今まで販売したい商品を
全てコンプリートした
商品を企画して直ぐ売った。

間違いなく全力で売った。

その結果、
なんとか商品が売れて、
振込期日のギリギリで
契約金を支払って
鹿児島の事務所を
契約する事が出来た。

そんなマイナスな状態から
鹿児島にたった一人で飛び立ち

3年が立とうとしている。

=====
死ぬ気でやる。
=====

別に僕たちは、
戦争がある時代に
生まれたわけでは無い。

だから、普通に
のうのうと生きていれば、
死を意識する時は、

病気にかかった時か
寿命が来た時ぐらいだろう。

あの時に
必死に考えて、
必死に商品売った
から今がある。

そして、今も尚
全力で商品を売り
続けている。

まだまだ、
僕の戦いは続く
だろうけれども、

これからも
走り続ける
しかないのである。

なぜなら、
自分で自分の
人生をこれからも
一歩づつ歩きたい
からである。

もう、給料を
1兆円つまれても
会社の組織では
働きたく無い。

もう、
会社の為に
自分の人生を
注ぐの嫌だ。

自分の人生を
自分の為に歩みたい。

そんな身勝手な人生を
送りたいから、
全速力で走り続ける
しかないのである。

金は空から振ってこないし、
会社から毎月決まった日に
給料が振り込まれる事も
一生無い。

だから、
僕は金を稼ぐ事から
逃げない。

と言うとカッコいい
響きかもしれないけど

単純に、

逃げられないだけ
なんだけどね(笑)

では、では、
今日はこの辺で!

チャオ(・∀・)