僕は、生まれた時から
病気を持って産まれた。
小さい頃、
頻繁に高熱が出て
医者に見て貰うと、
尿が逆流して、
バイ菌が入るせいだとか、
で、
小さい時に、
大きい手術を行った。
そして…
僕の肝臓2つのうち1つは
正常に機能しておらず、
もう1つが少し大きく
なっている。
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28年前の出来事。
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入院中、
ちんこに管をぶっ刺されて
いる状況で、
しょんべんをすると
激痛が走り、叫んでいた。
そんな息子の姿を
いたたまれない親は、
毎日のように病院に来て
看病を行ってくれていた。
手術後、
30歳になるまで、
病院に通う。
そんな通院を
している時に
こんな事があった。
恐らく6歳ぐらい
だったと思う。
病院に検査が終わって、
家に帰る時のこと。
■僕
「お母さん。お腹すいた!」
■お母さん。
「じゃぁどこかで食べていく?」
■僕
「うん。」
そんな感じで、あるデパートの
12階のレストラン街に行く事に。
■お母さん
「好きなのを食べなさい。」
■僕
「じゃぁこのお子様ランチ!」
■お母さん
「すいません。注文いいですか?」
そして、僕が注文した
お子様ランチを注文してくれた。
■僕
「あれ?お母さんは何も
注文しないの?」
■お母さん
「うん。私はこれでいいの。」
バックから、銀紙で包んだ
ゆで卵とアジシオを取り出す。
そして、
ゆで卵にアジシオを掛けて
美味しそうに食べる。。。。
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察する。
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6歳とはいえ、その状況を見て
何かを察したんだろう。
■僕
「お母さん。
僕のも食べなよ。」
■お母さん
「いいの。いいの。
これで十分。」
■僕
「………」
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貧乏。
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そう。
僕の家は貧乏だった。
だから、
うちの母ちゃんは、
いつもどこかに出かけると
水筒にお茶。
銀紙にゆで卵。
そして、
アジシオを持ち
歩いていた。
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金持ち。
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僕は、そういった光景を
幼少期から見ていたし、
お母さんの口癖は、
「金が無い。」
である。
だから、外食とかを
している家族を見ると
嫉妬した。
将来、お金持ちに
なりたい!
将来は社長になるんだ!
そうガキの時に
強く思っていた。
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弁当。
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あれは、小学校の5年生の時。
学校で給食が出ない日があって
お母さんに弁当を作って貰った。
ご飯タイム。
皆は、おかずがいっぱい並んだ
それは、それは、とても綺麗な
弁当を食べていた。
僕の弁当は、
ご飯と卵とミートボールぐらい。
しかも、全然オシャレじゃない。
残念な事に、
お母さんは弁当を作るセンスが
全く無い。
周りを見渡すと、
オシャレな弁当。
そして、僕の弁当は
ダサすぎる弁当。
弁当を開けて、
僕は弁当を閉じた。
友達に恥ずかしくて
見せられなかった。
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嘘つき。
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■友達
「オイ!お前の弁当は!?
なんか交換しようぜ!」
■僕。
「おっ弁当忘れちゃってさ。。。」
■友達
「まじ!?じゃぁ俺の
ちょっとやるよ。」
■僕。
「ありがとう。」
僕は弁当を持ってきているのに、
友達に嘘をついた。
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奇跡。
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高校生の時に次の進路を
決める時に就職する道を
一度選ぶ。
僕の家は貧乏だったから
大学に行く金は無い。
だけど、
ラッキーな事に
昔お世話になった先輩から
こんな電話が入った。
■先輩
「お〜タクロウ!元気でやってる?」
■僕
「はい。お久しぶりです。」
■先輩
「うちの大学来ないか?」
■僕
「えっ!?でもお金が無くて。。」
■先輩
「特待生で授業料免除で
入れるかもしれないから来いよ!」
■僕
「マジっすか!!!!」
僕は、小さい頃から卓球と
言うスポーツをやっていて、
全国大会にもちょいちょい
出場していた。
そのおかげで、
こんなお誘いを奇跡的に貰える。
で、
その先輩のおかげで
僕は特待生として大学に入学。
授業料は免除。
しかし、
仕送りしてもらえる程、
家にお金は無い。
僕は大学4年間。
親から仕送りを貰わずに、
バイトと部活と勉強を
両立させて、
1人で生計を立た。
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セルシオ。
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ある日、
部活の後輩が
セルシオに乗って
ドヤ顔で登場した。
■僕
「お前、その車どうしたの?」
■後輩
「親から買って貰いました。」
■僕
「まじで?いくら?」
■後輩
「200万ぐらいじゃないですかね。」
クソムカついた。
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社長。
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30歳ぐらいの時に
僕は社長になっていた。
収入の面も、
昔に比べると上がった。
車も、
18歳の時から憧れていた
34GTRを手に入れる。
家も、
海が見えるタワーマンションを
手に入れた。
そして、
昔から憧れだった
大きいテレビ。
僕の中でお金持ちの
イメージは、
とりあえず、
大きいテレビが
リビングにある。
そう勝ってに
思い込んでいたので
65インチのテレビと
音響システムを揃えた。
購入当時は、
そこで優雅にDVDを
見るのが一時の幸せであった。
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寝袋。
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社長になって気づいた事は、
社長程、大変な職業は無い
と言うこと。
「社長です。」
と言う肩書は、
表向けは、
凄い!お金持ち。
なんて思おうかもしれないけど、
全然そうじゃない。
毎月の会社の売上を
毎日考える日々。
そして、従業員の給料、
毎月出てていく固定費。
当時、
従業員の給料以外に、
家賃だけでも150万近く。
その他の固定費を合わせると
最低毎月500万以上のキャッシュを
作らなければならなかった。
しかし、
売上を上げられるスタッフはおらず、
僕が会社に泊まり込みをして
毎日仕事に打ち込んでいた。
社長=寝袋生活。
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自由。
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何度も会社のストレスで
自殺を考えた。
「死んだらきっと
楽になるんだろうな。」
そして、
僕は鹿児島でひとりで
ビジネスをする事を決意し、
僕は社長を退任した。
今は、鹿児島のど田舎で
ネットビジネスを行い、
自由に暮らしている。
勿論、相変わらず
仕事は休みなくやってるけど、
今が一番楽しい。
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鹿児島に来て思う事。
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確かに周りには、
山と川と海しかない。
そして、
周りを見渡すと
広がる田んぼ。
東京とは違い、
ここは時間が止まっている
ように見える。
鹿児島の自然を見ていると、
お金より、もっと大切な物が
あるように感じる。
きっと、この感覚は、
お金を稼げるようになってから
じゃないと味合う事は出来ない
かもしれない。
「そんなの綺麗ごとだよ。
生きてく為には金だよ。
金が必要なんだよ。」
おっしゃる通りで、
生きていく為には金が必要。
だけど、金を手に入れてから
分かったことも多々ある。
僕はこの10年で色々な
経験をさせて貰ったけど、
その経験の過程の中で、
「自分の生き方」を模索してきた。
そう。
そして、
答えらしき物が
最近見つかった。
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僕の生き方。
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どれだけ金を稼いだとしても、
「アジシオ」を使う生き方を
したいってね。
なぜなら、
僕がこうやって生きてこれたのも
幼少期に、お母さんがアジシオを
使っていたおかげだからさ。
これからも誰よりもアジのある
人生を送っていくよん(*°∀°)=3
では。では。
チャオ(・∀・)