たとえ明日死んでも。

生涯を終える時に、
多くの人達は看護師に
こんな言葉を残すらしい。

「もっと自分らしく
 生きればよかった」

「あんなにガムシャラに
 働かなくてもよかった」

「言いたいことは
 はっきりと言えばよかった」

「もっと友達と
 連絡をとればよかった」

「もっと自分の幸せを
 追求すればよかった」

あなたは、
死ぬ前に残す言葉
あるとするならば

どんな言葉を
この世に残すだろう?

日々、
何気なく生きていると
死に対して直視して
考える事は無い。

きっと、
病院のベットで
自分の死を悟った時、

死に対して
深く考えるのかもしれない。

でも、
必ず僕たちには死が訪れる。

だからこそ、
死に対して真剣に、
そして深く考える事は

大切な事だと
思うんだよね。

=====
言葉を残す事が無いくらい
言葉を生きている間に残す。
=====

僕は、
毎日、毎日、毎日
カメラに向かって
言葉を残すと言う
作業をしている。

お金の為か?

と言われれば

「YES」と即答
するだろう。

だけど、
他の理由もある。

それは、
死んでも僕の言葉を
残す事によって、

少しでも誰かの
勇気を与える事が
出来るからだ。

昔までは、
生きている間に
何かしよう。

生きてる間に
何かを成し遂げよう。

なんて事が
一般的だったのかもしれない。

でも、
ネットが出てきてから
その概念は変わろうとしている。

もはや、死んだ後でも
Googleが倒産せずに
YouTubeが存続しているのなら
僕の言葉は残り続ける。

死んだ後ですら、
僕の分身が24時間
休む事なく、

何かを伝え、
見た人達の脳内に
僕の言葉を残し続ける。

つまり、この思想がある僕は、
既に永遠の命と言う物を
手にれているのかもしれない。

=====
話したくても
話せない人に変わって
言葉を残し続ける。
=====

よく、
僕のお客さんの中では、
何を話して良いか分からない。

とか、

話すのが苦手です。

とか、

恥ずかしいです。

とか、

そんな悩みを貰う。

でも、少しだけ
考えて欲しい。

世の中には、
話したくても
話せない人達も居る。

目を開けて

星を見たり、

空を見たり、

夕焼けを見たり、

花をみたり。。。

そんな世界を
自分の目で見る事が
出来ない人だって居る。

そう考えると、

口があって、
喋る事が出来る。

と言うだけで、

圧倒的な武器を
持っている。

でも、

そんな事ですら、
多くの人達は気づかない。

当たり前に話せる事。
当たり前に見える事。

そんな当たり前の事に対して
価値を感じれる人は少ない。

あなたが、
何か喋れると言う事だけで
価値は存在する。

口下手でも
話が下手でも

ただ、ただ、ただ、

話せると言うだけで
話せない人にとっては
羨ましい事である。

=====
シングルベットは、
もう歌えないかもしれない。
=====

知っている人も
居るかもしれないけど、

シャ乱Qの
つんくさんは
喉の手術をした。

その事によって
喋れなくなった。

今まで歌を歌って
メシを食ってきた人が
歌えなくなる。

喋れなくなる。

そこにどれだけの
パワーが働いたのか?

それは、
つんくさんにしか
分からないだろう。

=====
今の当たり前は、
決して当たり前で無い。
=====

多くの人が
気づいていなんだな。

その当たり前は、
当たり前じゃなくなる日が
来るって事。

しかも、
その当たり前が急に
無くなっちゃう事だってある。

だからこそ、
僕たちは気づかなければ
いけないのである。

全ての物に
感謝し、

今を全力で
真っ直ぐに生きる
ってことにね。

最近、
豆苗を育ててるんだけど、
切っても切っても、豆苗は
真っ直ぐに太陽に向かって
グングン成長する。

豆苗の成長を見ていると、
人間より、豆苗の方が凄い
のかもしれない。

って思うよね。

どれだけ、
多くの人達が

自分に素直に
自分に正直に

そして真っ直ぐ
生きると言う事が
出来ていないのか?

それは、
僕が言うまでもない。

今のあなたの心が
全てを物語っているのだから。

では、では、
今日はこの辺で!

チャオ(・∀・)