39歳。卓球の試合に出場してみた結果。

何を隠そう。
約25年前僕は…

青森山田高校で
卓球をやっていた。

当時は、
全国で日本一の高校。

ちなみに、
東京オリンピックで
混合ダブルスで金メダルを
獲得した水谷選手も
青森山田高校。



つまり、
東京オリンピックで
金メダルを獲得した
水谷選手は僕の後輩?

と、

言いたいとこ
だけど、

僕は青森山田高校を
1年で辞めたw

そして山形の高校へ
編入したんだよね。

勿論、卓球は
続けたんだけど、

青森山田高校を
辞めた理由は、

とりあえず、
エゲツない程
厳しかった。

と言うお話。

まぁ日本一の高校だから
それはそうなんだけど、

当時の事を思い出すと、

青森山田高校を
辞めたい理由を

親に電話で伝える為に、

台本らしきものを書いて、
その台本を読み上げながら
電話してたっけw

=====
あれから約25年。
=====

昨日の試合は、
団体戦で出たんんだけど、

結果は、
散々たる内容。

1勝すら出来なかった。

さらに…

試合をやっている時に

ヒーハー
フーーーーハー

して、
筋肉が悲鳴を
上げていた。

で、

今日は完全無欠の
筋肉痛wwwww

よく、
歳を取ると
筋肉痛が2日後に
来るみたいな

都市伝説が
あるけれども

幸いな事に
問答無用の

今日、来た。

=====
気持ちと体が
ついてこねぇ。
=====

若い時は、
普通に出来た
プレーが

今となっては、
出来なくなった。

でも、
気持ちでは
出来ている
自分が居る。

だから、
無理やり筋肉を
動かすんだけど、

無理な事をやろうと
するもんだから、

そりゃー

筋肉は悲鳴を
あげるよね。



よく、
お客さんには

「まだ、若いですよ!」

的な事を言われたり
するんだけど、

昨日の試合を
振り返ってみると、

全然、
若くない事が
身を持って体感
する事が出来た。

=====
今後どうする?
=====

今年の10月1日で
40歳になるから、

体作りの一貫として
また本格的に卓球を
やってみようかと

思っていたんだけど、
昨日の試合で
少し悟ったと言うか
考えてみた。

本気でやるべきか?

と言う所。

ぶっちゃけ、
昔のような本気練習
やったら、

間違いなく
筋肉がぶっ壊れるよね(笑)

=====
一旦、保留!!!
=====

まだ、答えは
出てないんだけど、

とりあえず、
本気で卓球を
またやるか?
やらないか?

については、
保留としておく。

=====
もし、あの時。
=====

最初で書いた通り、
僕は、青森山田高校を
1年で辞めた。

今、思うと…

もし、
青森山田高校で
3年間、卓球をやってたら

恐らくなんだけど
今の人生は無いと思う。

きっと、
僕の人生が狂い出したのは
あの時からだったんだろうね。

そもそも、
日本一の高校に入学出来たって事も
今思うと、なんか奇跡に近いけどw

実は、
めちゃくちゃ裏話を
言うと…

僕の時代の
青森山田高校の
卓球部は

高校2年生の先輩と
僕たち1年生しか居なかった。

で、

先輩達が1年生の時に
インターハイで
優勝したんだよね。

オール1年生で
インターハイの団体戦を
優勝すると言う記録は、
1000年に1度とも言われた。

ようは、
先輩は日本一の巨塔。
僕たちはその巨塔の下で
日々練習をしている感じ。
だから常に先輩が上。

遠征に行くとかも
先輩が優先。

で、僕たちは居残り。

みたいな感じ。

そして…

僕たち1年生で
不満が出始める。

その結果、
先輩たちが遠征に
行っている間に
1年生全員で夜な夜な
「やめようぜ」的な
話し合いをしてたりした。

まぁ
結局、辞めたのは
僕ともう1人の子
だったけど。

=====
人生は、
自分の意思で決まる。
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きっと、
青森山田高校の練習や
環境がすげー良かったら

恐らく「辞める」とか
言い出さなかったと思う。

さらに言うと
回りから見れば

間違いなく
「逃げた」みたいな
感じだったと思うけど、

辞めるにしても
逃げるにしても

最終的には、
自分の意思で
決めた方がいい。



青森山田高校を
辞めてから約25年。

この25年も
色々な事があったけど、

最終的には
自分の意思で決めたから
今があると思う。

グループ会社の
社長を辞める時も

相当、悩んだけし
相当、考えた。

でも、最終的に
自分の意思で決めて
鹿児島で独立。

その結果、
かなり自由に人生を楽しんで
かなり自由に生きている(笑)



んで、時々思う。

「こんな人生も
 あるもんだ。。。」

ってね。

だって普通に生きてたら
毎日、会社に出社して、
会社で働く。

そして毎月給料を
貰う人生でしょ?

さらに言うと
その人生の延長線上には

給料が100万とか
給料が300万とか

そんな世界は
待ってないと思う。

でも、今は、
給料もコントロール出来るし、
時間もコントロール出来る。



だから、

もし、あの時に
東京を離れる決断
していなければ、

って

やっぱり思うよね。

でも、そん時は、
不安MAXでしかない(笑)

「マジで1人でやってけんのかぁ」

そんな不安でも
鹿児島で独立を決められた理由は、

「最悪、駄目やったら、
 コンビニで働く!バイトする!」

って腹くくったからかな。

じゃぁね。

チャオ(・∀・)