SNSを開くたびに、心がザワつく。
「この人、また旅行してる」
「同い年なのに、すごい仕事してる」
「フォロワー増えてて羨ましい」
…そんな風に感じたこと、きっと誰にでもあるはず。
でも、それが続くと、気づかないうちに
**“自分が何者か分からなくなる”**んだ。
本来SNSは、「人と繋がるためのツール」。
だけど今では、
「他人と比べて落ち込むための装置」になってる人も多い。
比較は悪じゃない。
でも、目的を間違えると“毒”になる。
正直に言うと、比較すること自体は悪いことじゃない。
比較によって、自分の位置を客観的に見れるし、
「もっと頑張ろう」とモチベーションになることもある。
でも──
それが“自分を否定する材料”になった瞬間、
比較は毒に変わる。
「あの人みたいになれない」
「自分は何をやってもダメだ」
そうやって自分を削っていくと、
いつの間にか“他人の人生を生きてる”状態になる。
比較の本質は、「自分の成長を測るためのもの」。
本来、比較は「他人を見るため」じゃなく、
「自分の成長を測るため」に使うもの。
つまり、
“誰かより上か下か”ではなく、
“昨日の自分より進んでいるか”を比べること。
SNSで他人の投稿を見て落ち込むよりも、
昨日の自分を振り返って「少しでも前に進めたか?」
これを基準にするだけで、人生の見え方が変わる。
成長すると、生き方は変わる。
不思議なもので、
人は成長すると、自然と“価値観”が変わってくる。
昔は「フォロワー数」が全てだった人も、
本質的な学びや経験を重ねると、
“数字”より“深さ”を大切にするようになる。
たくさんの「いいね」よりも、
本気で響いた「ひとことのコメント」。
表面的な繋がりよりも、
信頼できる少数の仲間。
それが本当の“豊かさ”なんだと思う。
SNSで苦しくなる人が、見失っているもの。
SNSで疲れる人の多くは、
“他人の評価”を軸に生きている。
「どう見られているか?」
「どれくらい反応があるか?」
でも本当は、
他人の評価なんて、風のように変わるもの。
今日称賛されたことが、
明日には批判に変わる。
他人の評価を軸に生きるのは、
砂の上に家を建てるようなもの。
少しの風で、すぐに崩れてしまう。
「自分軸」で生きるとは?
じゃあ、SNSの波に飲まれずに生きるためには、
どうすればいいのか?
それは、
「自分が何を大切にしたいか」を明確にすること。
どんな働き方をしたいのか?
どんな人たちと関わりたいのか?
どんな時に心が満たされるのか?
この“自分の基準”を明確にしていれば、
他人の成功や評価に揺さぶられることはない。
SNSに“使われる人”になるな。SNSを“使いこなす人”になれ。
SNSを悪者にするつもりはない。
むしろ、上手く使えば、
人生を大きく変えるツールになる。
大切なのは、
SNSに使われる側にならないこと。
比較して落ち込むのではなく、
刺激をもらって成長に変える。
承認を求めるのではなく、
本当の想いを発信していく。
SNSを“表現の場所”として使う人は、
振り回されることはない。
●まとめ
SNSの中には、無数の「他人の人生」が流れている。
でも、そこに自分を見失ってはいけない。
人生は、
「他人のペース」ではなく「自分のペース」で進めばいい。
比較はしてもいい。
でも、他人の比較で自分を失うな。
SNSを見ても、焦る必要なんてない。
あなたの人生のスピードは、あなたが決めていい。
じゃぁね。
チャオ(・∀・)